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東京ガスのCM(信長&光秀編)
東京ガスのピピットコンロのCMぴかぴか

歴史好きにはたまらない拍手

歴史上の人物が

『クローゼットから飛び出してくるシリーズ』


『小野妹子編』も面白かったけど(だって男なのにぃ〜)

今回の『信長&光秀編』もいい!!

このふたりが 仲良しだったら・・・・?

時代はす〜〜ごく変わっていたよなぁ〜てれちゃう

『本能寺の変』は起らなかった訳だし・・・・

秀吉が天下を取ることはなく

家康だって 表舞台には登場しなかったかもしれない!

だから 歴史って面白い!!


あれっ? 引いてます?

続編はあるかな〜?

東京ガスさん!
すご〜〜く期待してますよぉ♪♪


まみゅー | 歴史好きな私 | comments(2) | trackbacks(0) |
私の好きな偉人『織田信長』
初めに・・・断っておく
私は 実は・・・・
『歴史オタク』です。
熱くなりすぎていたら ごめんなさい汗


織田信長・徳川家康・豊臣秀吉 etc・・・・・
よく知ってるようで よくは知らない・・・・。
そんな歴史上の有名な人物の事を 私なりに書いて行きたいと思います。


『織田信長』 


『鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす』
江戸時代に読まれた歌であるが 白か黒か はっきりさせずには
いられない彼の性格をまさに言い表している。

彼は 1534年、尾張の大名『織田信秀』の三男として生まれる。
わずか8歳で那古野城主となり 家族から離れての生活する。 
織田家の嫡男とすれば 普通の事であるが
この幼い頃からの母の愛情に飢えた生活が
後に『うつけ』(奇怪な行動/変わり者)と呼ばれる原因の1つに
なったのではないかと言われている。

12歳で元服、13歳で初陣。
14歳の時
一触即発状態だった尾張の隣国 
美濃の大名・斎藤道三の娘 濃姫と結婚。
この舅はのちに信長の天下統一の夢の後押しをする力となる。

そして 『父・信秀』が亡くなると 織田家を相続する。
しかし その頃 信長の城(那古野城)には 
わずかな家臣しか残っていなかった。
なぜならその時 城と言えば 信長の父のいた末森城を指しており
信長の母と弟の信行が実権を握っていたからである。
どうみても うつけの信長と 末森城にいる信行では
信行の方が後継ぎにふさわしいと考え
1人また1人と主力の家臣までも 末森城に
寝返っていってしまったからだった。

しかし 信長は このわずかな兵力を使い 
次々と戦に勝ち進んでいった。
彼の勝利にはかなり運も味方しているが
妹・お市の夫『浅井長政』の寝返りには 
お市によってピンチを救われた。

しかし天性の戦略家であった事は確かである。


有名な戦の1つに 『桶狭間の戦い』 がある。
2万とも4万とも言われた今川軍に対し 織田軍はわずか2千〜3千。
この数では もう勝ったも同然と 
浮かれて休憩を取ったところを強襲し 今川軍は慌てて領国へ逃げ帰った。
奇跡的と言えば それまでだが 
相手が勝った気になったその瞬間の見極め方こそが
彼の戦略であると言える。


数々の武勇伝のある織田信長であるが 天下統一一歩手前での
最期は あっけない・・・。
信頼していた家臣『明智光秀』の謀反よって追い込まれ
自ら火を放ち 自害する。
コレが 『本能寺の変』である。

なぜ 光秀は謀反を起こしたのか?

これについて 真相は未だ 歴史の謎の1つである。
仝秀野望説
この時 周りに敵がおらず 信長を討つには絶好のチャンスであったため。
しかし だとするとあまりにも発作的過ぎる行動なので疑問も多い説。
怨念説
短気で逆上型の信長を恨んでいた者は少なからずいたはずであるが
怨念を抱くほどエピソードが見つからない。
ノイローゼ説
当時 次々と追放される家臣がいた。
次は自分か・・・という脅迫観念からの行動との説もある
ぢ利義昭黒幕説
信長・生涯の敵「足利義昭」による暗殺説。有り得ない事も無い。

他にも説はたくさんある。
しかし 考えれば考えるほど なぜ光秀が・・・と思ってしまうのが
本能寺の変である。

『うつけ』と呼ばれた信長。
父の葬儀の際 祭壇に抹香を投げつけたり・・・・

裸馬に乗り 手下を従えて 領内を徘徊したり・・・。

また 処刑人を一気に殺さず 
通行人に少しずつ 首をのこぎりで切らせたり・・・・

家臣に 討ち取った敵の頭蓋骨で作った杯で酒を振舞うなど 

ぞっとする話もある。

そして冷酷なイメージ。

味方につかない比叡山を焼き払い、僧兵のみならず
女・子供まで斬り殺した。
また 自分のいない間に遊びに出かけていた侍女たちを
処刑してしまったなんてこともあったそうだ。

しかしその反面

秀吉の妻『ねね』から 夫婦喧嘩の相談を持ちかけられた時
信長は熱心に話を聞いてやり 
後日 心のこもった慰めの手紙を書いてやったり

異母兄弟の妹・お市の事は 最後まで何かと気にかけている。 

謀反を起こした者を殺さずに追放するだけに留め
後に許したという話もある。

『天下布武』
これは信長の旗に書かれていた文字であり
『力ずくで天下を統一する』と言う意味に取れる。
しかし 本当は『暴力を使わずに徳(頭)を使って国を治めて行こう』
という気持ちが込められているという・・・


冷酷さと優しさを持つ信長。
どちらが本当の姿か・・・

謎の多い人物だけに

もし 本能寺の変で死ななかったら どうなっていたか・・・
もし 母親の愛情を一身に受けて育っていたら どうだったか・・・
もし 嫡男じゃなかったら・・・

本当は愛に飢えた・・それを表現できないゆえの所業ではなかったか・・・。

想像するとわくわくする男である。




注:フリー百科事典『ウィキペディア』
  ディアゴスティーニの『週間・日本の100人』
  永井路子著・小説『流星−お市の方』
                  以上を参考させていただきました。
まみゅー | 歴史好きな私 | comments(7) | trackbacks(0) |
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